はじめに
教育パパのマサトです。
前から少し気になっていたのですが、どうやら娘にもスランプが訪れたようです。
はじめてのスランプ。
娘自身も自分自身の心の扱いに困っているようにも見えます。
今日はそんな娘のスランプについて記録しておきます。
娘の学校でのポジション
娘は区立の小学校に通う2年生です。
クラスの中では勉強ができる存在として一目置かれています。
担任の先生も含め、自他共に認める「優等生」だったのだと思います。
当然、学校のテストでは100点を取るのが当たり前でした。
クラスで100点が1人だけいる場合、それは常に娘だったのです。
らしくない出来事
国語の授業で行われる漢字テストでは、娘はクラスでただ一人連続100点満点記録を更新し続けて一学期を終えました。
連続満点記録のさらなる更新が期待される中、二学期に入った最初の漢字テストでまさかの90点。と同時に連続満点記録も途切れてしまったのです。
このことがショックだったのか算数と国語で立て続けに100点を逃す事態が発生したのです。
「今までとは何か違う」 そんな思いが頭をよぎりました。
思えば兆しはあった
実は、僕も少し気になっていたのですが、今思うと兆しがいくつかありました。
1.公文の宿題をやり切れなくて残すことが増えた
2.毎日やっていたシンクシンクをやらない日が増えた
3.スマイルゼミに全く手をつけないようになった
でも、その原因は単純に少女マンガやテレビを見る時間が増えたこと、自作マンガを描く時間が増えたからだと思っていました。
どうやら僕の思い違いだったのかもしれません。
仮説
学校や公文、四谷大塚に漢字検定や算数検定、サピックスや早稲田アカデミー、日能研の公開テストや入塾テストなど、娘は頑張って結果を出してきました。
娘が頑張ってきた理由、それはやはり「親に認めて欲しい」、「親が喜ぶ顔が見たい」という一心だったのだと思います。
それがいつしか心の重荷になり、心が疲れてきているのではないか。
そんな仮説のもと娘と話してみることにしました。
対話
今日、ママが公文の宿題のことで娘を叱り、口論のあげく娘が泣き出して寝室に逃げ込んだタイミングがチャンスでした。
パパ:
「パパと少し腹を割ってお話しよう」
「〇〇子はいつも公文や四谷大塚とかスゴク頑張っているよね」
「でも最近はやることが多すぎてパンクしそうなんじゃない?」
「少し、心が疲れているんじゃないかな?」
「大変だったら公文も四谷大塚も、いつでもやめていいからね」
娘:
「嫌だ! 私はずっと秀才でいたいの」(言いながら壁を足でドンと蹴る娘)
「みんなが驚くような結果を出し続けたいの」
「だから公文はやめたくない」
「だって自分で始めると決めたことは、終わりも自分で決めたいから」
「でも、漢字テストで100点を逃したときは心がモヤモヤして眠れなかった」
パパ:
「連続記録が途切れてしまったから?」
娘:「うん、せっかく1000点の記録を達成したのに、もう2000点の記録は達成できなくなってしまったから・・・」
※漢字テストで20回連続で100点を達成する2000点記録達成の期待を背負っていたらしい
「でも神様にモヤモヤした気持ちが治りますように願いしたら次の朝治ったの」
こんな感じで10分くらいベッドの上で対話をしました。
対話を終えて
対話を終えてわかったことは、娘は親だけではなく、先生や周囲の期待なども敏感に感じ取り、その期待に応えようと必死に頑張ってきたのだということ。
また、皆が目を見張るような結果を出し続けなければというプレッシャーに蝕まれていたのだということがわかりました。
対策
対話を踏まえて今後の対策を考えました。
1.点数、順位、偏差値についてはあまり触れない、褒めない
⇒ 結果ではなくプロセスや努力を褒める
2.親(パパ)も一緒になって学び自体を楽しむ機会を増やす。
⇒ 公文の難しい教材は横について一緒に解く
3.囲碁や将棋、工作や実験、プログラミングなどを親子で楽しむ
⇒ 机上の勉強以外で知的好奇心を刺激する体験を増やす
おわりに
父親としては、結果よりもプロセスを重視して褒めることを意識してきたつもりでした。
しかし、学校や塾でも数字(点数、順位、偏差値等)で結果が出ます。
塾では順位も貼りだされたりします。
数字は目に見えてわかる結果なので、低学年の子どもといえど、子ども間での評価や序列意識が芽生えます。
それがいつの間にか、娘の心を蝕んでいたのだと思います。
わが子の心の状態やその変化の兆しを見落とさず、早め早めにケアしてあげることが親の務めなのだと再認識させられる出来事でした。
ゴメンね娘
これからは今まで以上に娘の心に寄りそってあげたいと思います。
以上 親バカ マサトの失敗談でした。