マサトです。
僕はなぜ毎日娘に『愛する気持ち』を言葉にして伝えるのか。
いや伝えずにはいられないのか。
自分自身を振り返ってみます。
自分の胸に手を当てて考えてみると理由は大きく以下の4つではないかと思い当たります。
理由① 娘の誕生経緯 (2009年)
理由② 東日本大震災 (2011年)
理由③ 同僚の家族の突然死 (2012年)
理由④ 自身の健康不安
■理由① 娘の誕生経緯 (2009年)
僕たち夫婦は、一度子供をお腹の中で亡くしています。順調な経過の中突然の別れでした。
その喪失感は計り知れないものでした。
特に妻のショックは大きく、泣き続ける日々でした。彼女を支える為に僕も必死でした。
しかし、幸いすぐに娘を授かり、お腹の中で日に日に大きくなっていくわが子に夫婦で毎日話しかけたものでした。
お腹の中でもとても元気な子で、特に足の力の強い子でした。妻がよく痛がっていたのを覚えています。
そして出産当日。プロジェクトマネージャーとして多忙な時期でしたが、娘がこの世に生まれ出たその日だけは偶々病院に居ることができました。
そして、娘がこの世界に生まれ出た瞬間を1番最初に、1番間近で目撃したのは僕でした。
その時の喜びは今でも鮮明に記憶に残っています。神と妻と娘と病院のスタッフ全員に対する感謝の気持ちで胸が一杯になった事は忘れられません。
そして、お腹の中で亡くなったもう1人の娘にも心から『ありがとう』を伝えました。
『この子を無事に送り出してくれてありがとう。守ってくれてありがとう』と
人がこの世に生を受けるという事が如何に奇跡的な事なのか、妻の出産に立ち会ったことで命の儚さと大切さが心に沁みました。
■理由② 東日本大震災 (2011年)
命の儚さを再認識させられた大事件が東日本大震災でした。
震災当日、僕は真っ先に保育園に娘を引き取りに行きました。無事に娘と再会出来た時の気持ちは今でも忘れる事が出来ません。
夜9時近くに妻も合流する事ができて本当に安堵した事を覚えています。
その後の報道で、被災地東北では、朝いつもどおりに笑顔で家を出た家族と永遠の別れとなってしまったケースをたくさん見聞きしました。
人はいつ死に別れてしまうかわからない。
そんな想いを強くした出来事でした。
■理由③ 同僚の家族の突然死 (2012年)
そんな震災から丁度1年後の3月11日、同僚の家族が若くして突然死。妻やお子さんを残しての突然の旅立ち、さぞや無念だったと思います。
葬儀にも参列しましたが、まだ小さい子供たちを見て、悲しみは深まるばかりでした。
自分だっていつ突然死をしてもおかしくありません。
■理由④ 自身の健康不安
昔から胃腸が弱く、はじめての内視鏡検査は18歳(高校生)でした。ですから、自分は長くは生きられないタイプだと漠然と考えてきました。
年齢を重ねても胃腸の弱さは変わりません。多分にストレスやメンタルの弱さが胃腸の不調を引き起こしているのだと思います。
それに加えて、娘の誕生以降は肝臓や血圧、血糖値などの数値も悪化し、先日の人間ドックでも脳梗塞の恐れを指摘されています。
自分もいつ突然死をしてもおかしくない状態だと認識しています。
という訳で、人はいつ死ぬかわからない、明日があるとは限らない。そういう想いを強くするに至りました。
愛する娘との別れが明日突然訪れるかも知れない。そう考えると、心に浮かんだ気持ちはその場ですぐに娘に伝えておきたい。
最期の時を迎えた時に悔いが残らないように。
少し考えすぎかも知れません、心配症が過ぎるのかも知れません。
でも、これからも気持ちは言葉にして伝え続けたいと思っています。
マサト
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