マサトです。
昨夜の雪 娘は大喜びでした。
一夜明けて、雪はあっと言うまに少なくなりましたが、雪国育ちのマサトは 残った雪を見ながら ふと子供の頃を思い出してしまいました。
マサトは中学生の頃 公文に通っていた記憶があります。昔すぎて小学生だったか中学生だったか記憶が曖昧です。
当時の公文式は『先取り』というイメージはなかったように記憶しています。
逆に『躓いた所まで戻る事ができる塾』という見方をしていた記憶があります。
学校教育では『後戻り学習』はなかなか難しいので、一人ひとりの実力に応じて、後戻りできる事が魅力で通っていた記憶があります。
もちろん、できる子は先に進めるという点もウリの1つではあったとは思います。
ですから未就学児も少なく、年齢層は高かったと思います。
翻って、現在の公文は『先取り』志向が強くなったように思います。
早期教育の代名詞とも言える状況になっているのは少し驚きです。
娘が通っている教室での出来事をひとつご紹介します。
娘が通っている教室は国際色豊かで、様々な国の方をお見かけします。
そのお母さんは、日本語はペラペラとまでは行きませんがソコソコ会話ができるレベルではありました。
教室に入るやいなや、先生になにやらまくし立てはじめました。
聞こえてくる内容を整理すると
・どうして同じ教材ばかりで先に進めないのか
・それはイジワルなのではないか
・ウチの子はできるから先の教材が欲しい
それに対して先生は、教材終了テストの結果を見せながら、この部分で躓いているのでやり直している旨を説明されていました。
しかし、そんなことにはお構いなく、とにかく先の教材をよこせと言わんばかりの剣幕です。先生も諦めたのか、希望の教材を渡していました。
自分の要求が通った母親は満足そうな様子で帰って行きました。
自分の子供の血肉になっているかを見もせず、いや、なっていないという事実を突きつけられてもなお、先の教材に進む事が大事だと思い込んでいる。完全に手段が目的になってしまっています。
最近の公文は先取りを促すような仕掛けが充実しているので仕方のない面もあるのですが、親としては子供が本当に理解しているか、力がついているかを見逃してはいけないと思いました。
公文に限らず、わが子をしっかり見る。
自身の戒めにしたいと思います。
マサト
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